空地の都市論 —ヴォイドのリサーチとデザイン—


 建築と都市の関係性への関心から、長く取り組んできたテーマが、都市の空地についてである。建物と建物の間には、敷地境界や道路を超えて空間が広がっており、空き地に限らず、建物集合に対する補集合としての空地(くうち)=「ヴォイド」に着目している。そこには 「最も小さな都市」といえる場所がある。

 

 こうした関心から、私は、東京の空地を博士論文のテーマにした。その背景には、当時在籍した東工大坂本一成研究室で進めていた建築の構成論が都市空間へ展開したことや、留学したオランダでレム・コールハースがヴォイドについて言及していたこともある。もう少し遡れば、近代建築の見直しの中で、コーリン・ロウは、「空間を占めるもの(Space Occupier)」としての建築から、「空間を定義するもの(Space Definer)」への転換を主張し、スミッソン夫妻は「充電されたヴォイド(Charged Void)」を、芦原義信は「外部空間の構成」を、大谷幸夫は「空地の思想」を語ったように、建築と空地の相補関係が着目されてきた。
 

 現在の縮小社会においては、駐車場などの空地が都市問題になり、私は、大学のある宇都宮市を中心に、空地のリサーチと活用のデザインに取り組んでいる。空地の形成過程を調べると、空地が隣どうし繫がる連担空地の状況が把握され、そこに建物が窓を向けるなど、空地を前提に建物が建ちつつある。地方都市の中心市街地ではコンパクトに高密度化を目指す動きもあるが、実は中密度なゆとりを享受してもよいのではないか。こうした調査と並行して、空地を居場所に変えるデザインも実践している。商店街の「オリオン通りオープンカフェ」では、まちづくりNPOと協働して、誰でも滞在できるパブリックな居場所を設えている。自然の空地である都市河川で開催される「かまがわ川床桜まつり」では、毎年4月に、しだれ桜の下に単管足場で床を組み、「都市の部屋」のような居場所を出現させている。
 

 こうした空地の設えは、人々の身体スケール の「居場所」と都市スケールの「風景」を同時に生み出すことを意図しており、建築側にも空地に向けた構えを期待していきたい。建築と都市の媒介項としての空地の都市論(アーバニズム)から、新たな共同性に基づく都市の文化を生み出すことができるのではないだろうか。

 

(建築士2018年12月号より転載)