大谷石の建築文化 —素材が拓く実践と思考—


 大学の研究室を中心に、研究や設計に取り組む中で、地域の宇都宮市で産出する大谷石(おおやいし)は、継続的に関わっているテーマのひとつである。


 大谷石は、凝灰岩の一種で、柔らかく多孔質で、「ミソ」と呼ばれる褐色の斑点を含むのが特徴である。市内には大谷石でつくられた石蔵や建築が多数現存し、現在でも採掘され、内外装材に用いられ、また、石切場の跡地の活用も進められている。こうした中で、私たちの研究室では、石蔵のフィールドサーベイを長年行ってきた。農村集落から中心市街地まで、調査した建物は約350棟に及ぶ。そこでは、積石や張石といった構法や、開口部に施された和風や疑洋風のディテールなどの特徴がみられ、地域の素材を用いた、アノニマス(匿名的)でヴァナキュラー(地域的)なタイポロジー(類型学)を見いだすことができる。

 

 また、大谷石は、建築家の作品にもしばしば登場する。フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテル(1923年)では、スクラッチタイルやテラコッタと組み合わされて、鉄筋コンクリ−トのレンガ型枠の仕上げとなり、水平線の強調と幾何学的な彫刻が、ライトの意匠を際立たせている。戦後は、坂倉準三設計の神奈川県立近代美術館(1951年)にも用いられ、大谷石は、1階のピロティにおいて、鉄骨ブレースを覆いながらガラスブロックとともに積まれ、白く抽象的な上層階とのコントラストと接地感を与えている。これらの関東近郊の近代建築では、大谷石が入手し易く採用されたと考えられるが、同時に、モダニズム建築の導入期に、柔らかく軽い大谷石が、どこか日本的な風土や大地と接続する役割で用いられたのではと推測している。
 

 地域の生活に根ざして石蔵を作った無名の石工たちと、近代建築を立ち上げた巨匠たち、時代や立場が異なる両者は無関係だろうか?前者は生活とまちを支える実践、後者は新たな意匠を生む思考に重きを置くが、素材に工夫を凝らした建築的な営みとしては同一と捉えたい。それは、素材の構築を通した建築文化と言えるもので、現在、設計に携わる私たちも参画し、開拓することできる地平が、そこには開かれている。

 

(建築士2018年10月号より転載)